実家に行ってみる、の巻


私の住む家から実家まで、多分2〜3キロ程度しか離れておらず、歩いて行ける。ただ歩いて行ったことはないので、今朝歩いて行ってみた。


私の家族――両親と姉と私は、遥か昔に空中分解し、原型も留めず瓦解している。ただ残念な事に、家族はそれがどういうことなのかちゃんと理解していない。一度離れてしまったものを戻すことなんて不可能。離れてしまったことをちゃんと認識したうえで新たな関わりを模索するしかないというのに、おかしな関わり方をしようとするからこじれていくのだ。

両親は姉の人生について憐み、自分の育て方を後悔している。そして、どうしたわけかそれを私(など)に話す。でも私に言わせてみれば、例えば今時間を戻すことができたとしよう、やり直したとしよう、では姉はまっとうに生きたのか、あなた方の力で変えることができるのかって話で、できるわけがない。なぜかと言えば、それは結局同じ両親だから。

両親は今やニワカ精神科医に成り下がり、テレビやネットで聞きかじった知識を並べ、やれ姉は障害だアスペだと他人に吹聴し、勝手に悲嘆に暮れている。それは全く恥ずべきことだし、それこそ姉が気の毒だ。精神科医ですら障害について正しい診断を下すことなどできないというのに、姉とまっとうに生活したことも、ちゃんとコミュニケーションをとったこともない親たちが、ただ血が繋がっているというだけで診断を下し、あまつさえそれをペラペラペラペラあらゆるところで話しまくっている。それこそが、真に姉のことを考えず自分のことしか考えてない証左であろう。ましてや今やどんな人間でも精神病院をくぐれば病名がついちゃう、しかも病院によって病名まで違うという一億総精神病の時代だよ? 特に父なんて、姉のこと色々言ってますけどあなたもよっぽど現代風で言うところのコミュ障ですからねと声を大にして言いたい。まあ言わないけど。

でもって、今も父と暮らす姉の問題行動が日増しに酷くなっているらしい。どうして父も姉を憐れむのなら、さっさと手を放してやらないんだろう? お前がいなくても生きていけると言ってやらないんだろう? さらに言えば、どうしてそんな姉の対策に私を頼るんだろう?

両親は知らない、私がどれほど「可哀想な姉」に虐げられ、それが未だに深い影を落としているのか。今ではその暴力的衝動を父に向けているという。はっきり言ってそんな姉には全然関わりたくないし顔を見るのも嫌だ。姉から私を助けてくれなかった親が、私に助けを乞うのも嫌だ。でも父は私を頼る、私が毎日毎日毎日毎日姉から同じことをされていたなんて知りもせず!ギャー!! 思い出したくもない!! もう私の方が病気になりそうだわ。


……と憂鬱な気分で実家に向けて歩いた。家につくと、誰もいなかった。父は姉を逃れ、前日から家を出ているという。姉に電話をするも、けんもほろろに切られる。実家にいる意味もないので早々に帰宅の途につき、歩きながら辺りを見渡す。実家の近所を歩くなんて何年振りだろう。奥田さんちの畳屋も、原田先輩んちの焼肉屋も、高瀬くんちの花屋も相変わらずやっている。変わらないはずなのに、知らない街以上によそよそしく感じる。岡田くんちの本屋は介護ステーションに代わり、その隣には何度行政指導が入ろうと相も変わらず老人をだまくらかして怪しい商売を続ける催眠商法○れあガーデンが。ああこんなところにまで!

変わっていく、人も街も。姉も、早く変化に気付かないとだめなのだ。