剱岳(二十八座目/百)


去る八月に行った、立山のトンデモ山行。あれは山ではなく観光地。観光するなら、山じゃなくて平地が良い。観光しにわざわざ山行かない。一から十までうんざりの立山観光の中で、唯一心動かされた剱岳の姿。どっかりとした、巨大な岩の殿堂。かねてより行きたかったあの山へ、ついに行くことにした。


【行き方】
剱岳登山のメインルート、立山室堂を経て劔に至る別山尾根はまっぴら御免なので、北アルプス三大急登の早月尾根ルートを採る。北陸道立山ICを下り、県道46号線〜県道333号線と経て馬場島に向かう。馬場島が近づくと道は細く見通しの悪いくねくね道になるものの、道自体はしっかりと舗装されており、標識も出ているので迷うことはない。



4:30頃駐車場に着くと、平日にもかかわらず七割方車で埋まっている。この日は好天が予想されているものの、明日は急速に崩れるらしい。本当は今日小屋まで、翌日山頂へ……の予定だったけれど、この日のうちに登頂と予定変更。コースタイム15時間半のこのルートを日帰りしようという猛者も、さすがに暗いうちにヘッドランプをつけて出発していく。



登頂してから小屋に至るまでのコースタイムは11時間40分。これまでの経験では、行動時間が8時間を超えると疲労が溜まって極端に遅くなり始める。前半いかに時間を稼ぐのか、それでいてスタミナの消耗を抑えるか、難しいペース配分をしなきゃいけない。
とりあえず朝は早いに越したことはない。ヘッドランプなしでもかろうじて周囲が見えるくらいの明るさになるまで待ち、5:10登山口。



これがあの、『試練と憧れ』か〜。見たことあるある。



5:55、展望台? ちょっとペースが速すぎるような気もするけれど。登山口からいきなりの急登でかなりウヘ〜となったけど、序盤はまだまだ平坦地や緩斜面も多く歩きやすい。正面のキレットは『大窓』。



木のトンネル。



気持ちのいい樹林帯。



傍らには大きな杉が。



ご神体になっててもおかしくないほど古い大木。



杉の巨木を通り過ぎると木の根の斜面が始まる。



木の根、木の根、しばらくは木の根。



木の根と岩のミックス帯になってきた。足が上がらなくてどうしよう? という場面もしばしば。



6:40、あ〜! これ知ってる。ネットで見た。200メートルおきにあるんでしょ。



樹林が切れて覗く展望には疲れを忘れる。予報通り、とてもいい天気になりそうだ。それだけで随分足は軽くなる。



7:15、ほらほら1400。次は1600でしょ?



7:30、な、ほら、な!! 1600。



日が高くなってきて、山肌を照らす。



紅葉は、さして大規模なものではない。



それでも綺麗に色づいた木々は随所にあり、青空とのコントラストが目に眩しい。



高度を上げていくに従い、目を楽しませてくれる大展望。急がなければならないのは分かっていても、つい足を止めて見入ってしまう。



富山湾まで見える。いい天気だな〜。



標高が高くなってくると、色づく葉の紅葉も進んでいる。



正面のギザギザは小窓尾根。一般登山者に登ることはできない。あんな恐ろしげな尾根を登る人もいるのだから大したもんだ。一生やらないけど(やれないでしょ)。



急登は続く続く……。登りよりも下りのことを考えるとあな恐ろしい。



ん、なんだ? 多分1920.7メートルピークの三角点かな。



今夜の宿まであと1キロ。でもそこで終わりじゃないのが、今日のツラいところ。



途中の平坦地。まあ綺麗。



傍らには大きな水たまりがあって、オタマジャクシがたくさん浮かんでいた。近寄ってもぴくりとしない。ストックを水面にぽちゃんとつけるも、広がる波紋にすら微動だにしない。それどころか、ストックの先に着いていた砂が水に拡散してふわふわふわ……とオタマちゃんに下りていき、その重みでオタマはぷくぷく……とゆっくり水底に沈んでいく。やだ死んでるみたい恐い! ていうか可愛い!

オタマは結局そのまま、水底近くでボンヤリしていた。砂かけてごめんね。



早月小屋が見えてきた。



10:10、早月小屋到着。うーんコースタイム40分しか縮めてないのか……。非常に怪しいペース。でも明日は荒天なので、今日登るしかない。チェックインだけ済ませ、重い荷物をデポし、ヘルメットをかぶって10:30出発。ここで予備の水まで置いていく失態。後半、脱水でバテて大幅ペースダウンの原因となってしまった。



しばらくはそれほど急坂でもない樹林帯が続く。



まだ木々の色合いを楽しむ心の余裕も、水もある。



徐々に急登になってくる。



うおお……



辛くなったら目を転じて展望を楽しむ。まだ楽しめてる。



手を使わなければ登れないところも増えてきた。



登ってきた尾根を振り返る。



12:00、2600メートル地点。行動開始から7時間、ついに区間コースタイムから遅れ始め20分のオーバー。うーん休憩とか頻繁にしてたからだろうか。



森林限界を超え、様相も変わってくる。



左手は雪に削られた谷。落ちたら細かめにすりおろしだな……



右手は急峻な崖。落ちたら荒みじんだな……



13:05、2800メートル地点。ここに来るまでに随分たくさんの下山者とすれ違ったけど、正午を回りみんな一様に「これから登頂?」と驚く。ガツガツしてそうな人ならまだしも、くたびれたおばちゃんがヨロヨロ歩いてるのが不安だったんだろうなあ。



いよいよ岩の殿堂の懐へ潜り込んでいく。



鎖を伝って慎重に……



慎重に慎重に……



慎重にやっているうちに雲が涌いてきてしまった。あんまり慎重にもやってられないけど、でも腕も足も疲れて、腰も痛くて、喉が渇いて、頭が痛くて、急ぐにも急げない。



とにかく目の前の岩を……



鎖をちゃんと掴んで……



ん?



んんん?

鎖が、終わった……



顔を上げると、遥か遠くに、ずっと近づくことなく見えていた山頂の祠が、すぐそこにあった。涙が出てきた。疲れて。こんな有名な山なのに、周囲には誰もいなかった。



味わうように一歩一歩登る。山頂は通過点に過ぎない。でも一つの目標には違いない。



14:05、登頂。じわじわと嬉しさが身体を満たし、小さくガッツポーズをした。
なんとか遅れた分は修正してコースタイムどおりくらい。それでも十分遅い。10分ほど休み、14:15下山を開始する。山頂で節約してきた僅かな水も飲みほしてしまった。



山頂で唯一撮った展望、源次郎尾根と源次郎谷。剱岳の初登頂は源次郎尾根によってなされた。



16:20、2600メートルまで下りてきた。タイムは既に相当オーバー。小屋のご主人には16:00までに入ってくれと念を押されてるのに、怒られるだろうなあ……。頭が痛くて喉が渇ききってて、そのうち朦朧として崖に下りていく尾根を下ろうとしてしまった。典型的で初歩的なロストに愕然。こういう時に人って遭難するんだ、とヒヤリとする。



もうあとはとにかく急いで下るしかない。
ちなみにこれは食後に部屋から見た夜景の写真。町の光が見えるほどいい天気。

さて話は戻り頂上からの下山途中、小屋は見えているけど例によって全然近付かない。何人かが、小屋から出たり入ったりこちらを見上げているのが見える。「あ〜いたいた、下りてきてる」「あのおばちゃん無事だったよ〜」とか言ってるんでしょう。すんませんねっと。

かくして確か17:30頃、フラフラになりながら小屋に到着。怒られる前に先制して心配かけたことを丁寧に詫びると、ホントに心配しとったわ! とご主人より愛の鞭。お連れさんも心配しとったよと。いや、連れなんかいないけど。とにかく荷物を下ろすこともままならず、手も顔も拭けず、カラッカラの喉を潤す時間も貰えず、とにかくすぐ! 晩飯食え! もう始まっとる! 冷めとるぞ! と食堂へ急き立てられる。み、水……。

さて心配してくれてたのは、私より一足先に駐車場を出て、二足先に下りてきて、すれ違い登っていく私に声を掛けてくれたオジサンだった。若くて綺麗な女性がまだ下りてきていない、と周りに話しまくっていたらしく、食堂へ入った途端に軽くガッカリムードが漂う。若くも綺麗でもなくてすんませんね。話盛ったのは私じゃないよ? とりあえずオジサンにも一言詫びておく。疲れすぎて、美味しいんだけど食事も喉を通らないのだが、遅れた上に残したりなんてできっこない。時間をかけて、無理にでも飲み下す。でもそのおかげで、翌日の疲労回復が上手くいったように思う。



さて一夜明け、午前のうちに荒れるとは思えぬ綺麗な朝焼けの中5:40に出発。キノコを採りながらゆっくり降りると言ってた、私を心配してくれてたオジサンはあっという間に私を追い抜いて行く。あれでゆっくりなんだ〜、今年70と言ってたけど健脚だこと。聞けばかつてはテニスで国体出場だと。やっぱ基礎体力の違いですな。



月が沈んでいく。綺麗な朝と夜との交代。



キノコのおじさんはキノコを見つけると藪に入って黙々とキノコ狩り。そんなオジサンを抜きつ抜かれつ、9:05下山。いや〜……大した試練でした。面白かった!

ほどなくしてオジサンも下山。天然ナメコとクリタケを山盛り分けていただく。いいのかな〜いや、断るのも無粋だしね。

その後良い温泉を教えていただき、そこでランチまでご一緒する。あまり詳しくは聞いていないけど、住んでる場所とか乗ってる車とかから察するに、かなりハイソな人っぽい。オジサン楽しかったです。またどこかで会えたらいいね。



高速に乗る前、急速に山から風が吹きおろし、黒い雲がびゅんびゅん流れていく。帰り道は眠気も吹っ飛ぶ暴風雨で、エライ目に遭った。下山途中、日帰り登山する人と3人ほどすれ違ったけど、大丈夫だったのかとかなり心配だった。翌日早月小屋のご主人に電話する所用があり、ついでに尋ねるとみんな無事に下山した様子。良かった。


また来たいが、どうかなあ。これから先の人生で一番若い現在の私でこの有様だから、この先無事に登れるとは思えない。一生の記念に、なってしまったのかもしれない。
まあでも、素晴らしい山行になったことは間違いない。登山を知る人生でよかった。