朝食の味

私は料理を作ることが嫌いだ。
作れないわけではない。物心ついてから母親と一緒に暮らしていないので、むしろ子供の頃から自分で食べるものは自分で作る習慣があった。ただちゃんとした料理ができるようになるまでは、ひどい物を食べていた。お茶漬けをまねてご飯に水をかけて食べたこともある。少し知恵がつくと醤油をかけて食べた。念のため父親のフォローをしておくと、食べ物が無いほど貧乏だったわけではない。しかし父親は子供のための食事を考える人ではなかったので、作ることはおろか、食材を買うこともしなかった。インスタントのものは山盛り用意されていたので、私の食事の選択肢は「今日は何を食べるか」ではなく、「今日は何味にするか」だった。一番の成長期に栄養らしい栄養も取らず、ただお腹を膨らませるだけの食事ばかりしたので、今でも私の身体はひどくアンバランスだ。そういう生活しかしたことが無いので別に誰を怨むも何もない。ただそんなことを思い起こすと気の毒な子供時代だなおい!と自嘲気味に侘しくなるだけだ。


小学2年生か3年生の頃か、父のいないある夏休みの朝、母親に起こされた。
あまり覚えていないがおにぎりと、何かが作ってあった。取り立ててすごいものではなかった。目を覚ますと母は台所で何かを片付けていて、その場にはいなかった。美味しそうだなと思ったけど、食べてはいけないと思って手を付けず、母が食べなさいと促してきてから食べた。母親は夕食を作りに来ることはあっても、朝食を作りに来ることなどなかったので、夜まで食べずに取って置かなければいけないと思ったのだ。いつでも私が自分で料理をしていたわけではなく、こうして母が作っていた時期もあったし、父もごくたまに作るし、姉が作る時期もあった。でもなぜか、自分以外の人が作った料理として、この日の朝食のことは一番よく覚えている。朝食自体きちんと食べる習慣が無かったのに、朝から食事らしい食事をしたのが珍しいかった。作らなくても、待たなくても出てきた朝食を食べることがどこか後ろめたく、そしてものすごく美味しかった。


そんな子供時代を過ごしたせいか、私は人が作った料理だったらどんなやばそうなものでも美味しいと思う。実際に美味しい料理なら尚更だ。人が作った料理を食べて生活できるなんて、なんて幸せなことだろう。結婚するなら、料理以外ならなんだってやるから、料理ができる人としたいと切望していた。実際は料理以外なら手伝ってくれる人と結婚したが・・・まあそれはいい。
自分の子供を見ていると幸せなやつだと思う。でも母親が、自分の食べるものを嫌々作ってると知ったらショックだろうか?自分で料理っぽい事をするようになって20年も経つけど、いつか料理を苦に感じなくなる日が来るのだろうか?50にも60にもなって料理嫌いの無職のバアサンなんてヤダ…