眠り

私はある種ノイローゼだ。それは特に珍しいことでもない。日常生活に支障をきたすかどうかという問題なだけで、私の知人友人全て精神病理は抱えていると少なからず思っている。いや、別にみんな病気だと言いたい訳ではなく、例えばほんの少し抱えた心の問題を心療内科にでも持っていき、そこで「眠れない」の一言でも添えれば、誰しもが便宜上何らかの病名を与えられるだろう。人の心を他人が断ずることなど容易い事ではなく、誰しもが覗けばほの暗い空虚な暗闇を心に抱き、それに気付きつつも気付かぬ振りをして生活しているのではなかろうか、少なくとも私はそうであり、そして無視できないほどに存在感を増す闇が心を覆うと、そこに何らかの神経症的症状が出るだけの話だ。下らぬ原因を幼少時代やらなんやらに押し付け自分を慈しむつもりなどない。私の心の資質の問題であり、胃が悪いとか血糖値が高め、という現象と同じ意味だと思っている。


10年ほど前からひどい感覚に囚われる事は無くなり、ある不安に対する精神病的な追求を一切脳が拒否し、不安に対する思考は完全に停止するようになった。ただそういった何事にも共通する追求思考の停止とともに、私の中の芸術家的精神も死んだような気がする。しかしそんなものを凡人が持っていたところで無用なのでそれはそれで良かったのだろう。
私が(勝ち取ったのだと思いたいこの機構も)不備があるようで、呪われた菌糸が表層に染み出るように、断片的なイメージに苦しめられることからは逃れることができないようだ。ふと目覚めた深夜に眠る家族の寝息を感じたとき、昼下がりのうたた寝から覚め夕暮れの薄闇に、外から聞こえる近所の子供たちの笑い声と駆ける足音に、その日常へのたまらない哀惜という悪魔が忍び寄り、失うことへの恐怖に涙する。


人は例外なく全て、その存在を失う。それを考えれば眠る時間が惜しいのに、どうして起きていても無駄な時間しか過ごすことができないのだろう。それとも良質な生きているうちの睡眠時間というのは、無為に過ごす覚醒よりも優れたものなのだろうか?答えなど分かるわけが無い。こんな無意味な思考を停止して眠りにつくことができる私は幸せなのだろうか。幸せなのだろうか?