失われし祖国

日本兵の上野さん、ウクライナに出発
2006年 4月28日 (金) 12:14


 ウクライナから63年ぶりに一時帰国していた岩手県洋野町出身の旧日本兵、上野石之助さん(83)が28日昼、10日間の日本滞在を終えて成田空港からウクライナへ向けて出発した。

 付き添いの長男アナトリーさん(37)とともに搭乗手続きを終えた上野さんは、「新しい家ができて、道路もきれいになって、故郷の外見は自分の思い出とはすっかり変わっていた。美しい、すてきな国になった日本を見ることができた」と短い滞在を振り返った。

 空港には弟の左舘丑太郎さん(81)と妹のタケさん(69)も見送りに訪れた。「弟妹にあえるなんて思ってもいなかった。また帰りたい気持ちはあるが、年だからたぶん無理だろう」。20日に岩手入りして再会を果たしたばかりの弟妹たちと、目に涙をにじませて別れを惜しんだ。

 上野さんは樺太終戦を迎えた後、現地で暮らしていたが、58年に消息が途絶え、00年に戦時死亡宣告が確定した。東京家裁は滞在中に上野さんと面接して宣告の取り消しを決定し、削除された戸籍は近く回復される。


日本を忘れ別の故郷を持った日本人のことを、現在の日本人はどう思うのだろう。少なくとも私は余計なお世話ながら、ウクライナを故郷としてそこで果てるであろうこの老人に対して寂しい気分になった。日本に帰って日本の土になりたい、とでも口から洩らせばもっと美談として大々的に取り上げられたであろうが、マスコミの冷静さも市民の共感を得にくいと判断したからではあるまいか。彼の祖国はもはや日本ではないのだ。
このニュースを聞いたときに驚いたのは、20歳まで日本に暮らしていたのに、60余年を経ると全く日本語が喋れなくなっていたことで、言語野の成長は12歳までなどと言って日本語もろくに知らない子供に英語教育を施す親の苦労は何なんだろうとふと思う。北朝鮮に拉致されていた曾我ひとみさんもそういえば他の拉致被害者家族とは違い、日本語はたどたどしかった。13歳で拉致され、韓国人と結婚し、北朝鮮で暮らした横田めぐみさんはどうなのだろう。このウクライナの元日本兵と姿を合わせ、暗澹たる気持ちになった。めぐみさんの両親の思いは日本人として胸を突くが、北朝鮮の人となってしまっているであろう、彼らの娘には届くのだろうか。きっと日本の歌も口ずさめない彼女の心に。