森見登美彦『新釈_走れメロス_他四篇』


若いうちに読めば血肉となるけど、歳食ってから読んでも大して役に立たないジャンルの本というのはあると思う。その中の一つが近代文学というジャンルで、完全に知らないよりは、知識として読むことを無駄とまでは思わないけど、今更太宰だ漱石だ鴎外だ、ってなんとなく気恥ずかしい。そんな感じで完全に近代文学を読む時期を逸してきた私は、勿体無い事をしたな〜と思う。スポンジのような10代の感性に近代文学を染み込ませておくことは、人間としての大きな素養になり得る。勿論それを何の役にも立てない生き方をするのも自由。ただ知っている、ということが重要。

この「新釈走れメロス」を読んで改めてそういった、文学の基礎知識を備えていないのを悔やんだわけですが、帯によると「近代文学リミックス集」とのこと、何篇かは知った題材があったので、原典との比較という鑑賞の上でのアドバンテージを得る事ができ、その目線がある方が、物語をより多面的に捉える事ができて面白い。もちろん、知らない題材の物語も、それはそれとして十分に物語として成立して見せているので、知らずに読めばこれが近代文学トリビュート作品とは気づきもしなかったと思う。
独立した短編集ではなく、5作にそれぞれの登場人物が絡み、連作風に進んでいく流れも飽きさせない。表題作走れメロスは教科書にも登場する言わずと知れた太宰文学の主峰の一つだが、約束を守らないと確信している友人を落胆させないために、あらゆる手を尽くして約束を守らないために奔走する主人公をナンセンスに描き、真逆にしても主題は変わらないという離れ業を展開するなど、視点が鋭いなと感心する事もしばしば。原典が偉人の深い洞察の上に成り立っているからこその、森見登美彦の成功なのかもしれないけど、この人の文はなかなかに鋭敏で、頭がいいなと思った。他の作品も読んでみたいと思わせる人だった。