故郷


我が尊敬するお友達、キョンコちゃんがこのほど、新しいブログを立ち上げました。冒頭の、故郷を想う言葉には染み入る含蓄があります。彼は決して故郷を愛して止まないわけではありません。ただ、愛そうと愛さざるとに関わらず、彼にとっての故郷は彼の中に根付き、人間を形成する重要な要素であることには、疑うところが無いのです。

「ビバ!迷宮の街角」より、はじめに
http://blog.goo.ne.jp/viva2010/e/0101080b2688c3bb320c307a8ff7341e


最近読んだ宮部みゆき著「火車」の中に、私がキョンコちゃんの中に見た「故郷感」みたいなものがかなり適切に表現されていたので、引用します。


<以下引用>
ここにあるのは、大都会としての機能ばかりである。
それは、車とよく似ている。どれほど高級仕様の車でも、どれほど性能が素晴らしくても、そのなかだけで人間が生きることはできない。車はときどき乗り込み、便利に使い、ときどき整備に出し、洗ってやって、寿命がきたり、飽きがきたりすれば買い替える。それだけのものだ。
東京も、それと同じだ。たまたま、この東京という車に匹敵するだけの性能の車がほかにはあまりないものだから―あっても、多少個性が強すぎるものだから―多くの人間に、ずっと使われているだけのことで、本来はとっ替えのきく備品みたいなものなのである。
買い替えのきくものに、人は根をおろさない。買い替えのきくものを、故郷とは呼ばない。
だから、今の東京にいる人間はみな一様に根無し草で、大部分は、親や、そのまた親が持っていた根っこの記憶をたよりに生きているのである。
だが、その根の多くはとっくに弱り果て、その呼ぶ声は、とうの昔に嗄れてしまった。だから、根無し草の人間が増える。
<引用終わり>


この中に出てくる主人公は東京で生まれ育った設定で、故郷を持つ父母や妻とは根本的に人間の形成が違うと感じています。キョンコちゃんは根無し草の土地・東京で、確固と自分を表現できる背景には、あるいは無意識であったとしても、やはり自分のバックグラウンドを持っていることが大きいのだと思います。