「遭難者を知らせぬ登山者」


2009年に起こった、8人が亡くなったトムラウシ山の遭難事故は記憶に新しいところですが、2002年にも同じくトムラウシで2人が亡くなった遭難事故がありました。表題はその事故に関する記事の新聞見出しです。
亡くなった1人は、山頂まで約2キロの登山道上で救助隊に遺体で発見されました。救助隊は午前5時半頃入山したそうですが、その時刻より前に何人もの登山者が入山しているのに、先発した誰もが引き返すことなく、亡くなった人が横たわっていることを知らせなかったそうです。

『遭難者を知らせぬ登山者』
「準備や認識不足の遭難は確かに自業自得だ。それでも、あの朝登頂したすべての登山者に問いたい。あなたがたは、下半身を寝袋に包み、あおむけに横たわっている女性のわきを通り過ぎたはずだ。声はかけたか。手は合わせたか。その後、極めた山頂での気分はどうだった。せめて、後味の悪さぐらいは感じたか。(北海道新聞 2002年7月27日(土)朝刊)」

そうだそうだ、と同意するだけの善良さを私も持ち合わせてこの古い記事を読んだんですが、読めば読むほど、果たして私はこの記者側の立場であることができるんだろうかと疑問なんです。万障繰り合わせの上訪れる、遠く離れた北海道でつつがなくスケジュールをこなすためとか、誰かが救助を呼んでくれるだろうと他力本願に頼るとか、私が呼ばずとも既に救助は向かってるはずだと思い込むとか、まあそういうここで取り沙汰されるであろう一般的非難の対象である態度というよりは、ただ単に亡骸が怖い、声をかけても反応しないその身体に触れて命が消えていることを確認することが怖いっていう、そんな理由で無関心を決め込むことがありそうな気が多分にするんです。





今日のねずちゃんは、またご飯が食べられなくなりました。行きつ戻りつ。ただ戻る振り幅の方が大きいのです。