村上春樹『ノルウェイの森』


この1ヶ月は私にとって大変苦痛だった。今でもそれは続いている。長い時間を、細心の注意を払って内省から気を逸らせることに向ける。結果ポケモンホワイトは2巡目も終わり、LOSTはファイナルシーズンの5枚目まで見た。ここから先はまだ新作だから、仕方なく読書を開始する。LOSTもなー。なんかすっかりオカルト路線が濃くなっちゃってちょっと安直に過ぎる。で、読書は意外と思考を促すので良くない。全く無関係のところで気分が悪くなって読むのを中断することもしばしば。それがこのノルウェイの森だったから、ってこともあるんだかないんだか。

実家の本棚にこの2冊が並んで何年経っただろうか。ヴァーミリオンとペールグリーンの2冊を引っ張り出すと、側面の赤はもっと赤で、緑は濃いビリジアンだった。1993年45刷とある。一体その後、何刷まで行ったんだろう。映画化されて、それがそこそこ良い評判らしいというのを耳にしなければ、この本はずっとやたら目立つ配色で、あれ読んでないな、まあ今後も読まんだろうけどと、実家に行く度気付かされ続けたんだろう。

で、感想としてはなんかこれが80年代文芸の名作という位置づけになった理由には、あの性描写あたりが一枚かんでる気配もするし、その性描写は作品になくてはならないエッセンスではあるのは間違いなかろうが、メディアがそこを過剰に煽った結果、下世話興味で読んだ人って相当数だろうし、海外でも何か国語にも翻訳されてるっていうけど、海外にはこういう典型的な日本文学の暗黒側面をさらりとライトな現代版で紹介する機会がなかっただけじゃないかという気もする。まあ色々考えるに、結局もうノルウェイの森も古典に入っちゃってるんだなという感じで、その後大量に生産され続けた類似物語によって本家の斬新さは、もはや感じることはできなかった。それは私の年齢に由来してるってことも大いにあるだろう。読書には適齢期ってものがあると思う。私はノルウェイの森を読むには年を取り過ぎた。このマッチポンプなメンタリティの登場人物にはほとほと付き合いきれないし、そういうイライラする登場人物たちはみな、他の日本文学同様に死をちらちらと予感させ、その死の扱いの軽いことが私には我慢ならない。精神を病んで死を意識することの軽薄な描写が、私には我慢できないくらいに嘘なんだよね。映画の『告白』を見てまだこんなもん流行ってんのかってうんざりしたけど、ノルウェイの森映画化って、なんかもうあーあって感じだよ。好きだねこういうのほんと、邦画ってさ。原作を求めずにいい脚本家育ったらどうだよ日本。