ぞんざいに生きる


猫タンがいなくなってから、殊更にいなくなったことを考えないようにしていることと、いつも部屋にある骨。テレビに映し出される膨大な数の棺、2万4千年後のプルトニウム、10万年後の人類、じわじわと確実に私の中にある穴をこじ開けているのが実感される。触れてはならない箱の隅。見てはいけない穴。私の抱える疾患。呼びさまされそうになる気配に怯える。考えてはならないと思考を止めることは即ちぞんざいに生き、命は軽薄とあしらうこと。考えてはならないと自分に命ずる回数が日に日に増え、考えないようにしなければならないことを意識することが増え、多分このままではもう私の力ではどうにもならなくなるのだ。ぞんざいに生きよう日々を、どうせ無駄なんだから。