『ポジション2012 名古屋発現代美術』展


知った名前の作家さんが多いので元より見に行こうと思っていたこの展覧会。でもこの展覧会のポスター、リーフレット、チケット等のデザインを担当した佐久間要さんから招待状をいただき、ありがたいことに無料で拝見させていただく。

地方を中心として活動する若手の展覧会ということで、全体的な感想としてはやはり未熟な印象を拭えない。どこかの芸大の卒業制作展だと言ってもいいような未成熟、あるいはまだ実験的な段階とでも言おうか。ただ見せ方の問題もあったと思う。名古屋市美術館……ちょっとなあ。

入場してすぐに目に入ったのは山田純嗣さんの作品。ただ入口はいってすぐの場所に、床へ直接小さな立体作品を展示しているので、もうゴミがすごいの。白い立体だから毛とかホコリがすごく目立って、なんか台無しな感じ。作品自体はとても面白いだけに、そういう邪念の入る隙があるのがとても残念。せめて人の往来の無い突き当りの展示室だったら。

続いて青田真也さんの作品は、ガラスケースの中に木でできた立体作品がずらりと並ぶ。そのならんでいるケース内も、白い土台がとても薄汚れている。髪の毛も落ちてる。私は特別にそういうことばっかり気付く潔癖な人間ではないと思うので、同じことを思う人も多いのではなかろうか。こういう、展示に対して甘い部分がどうしてもシロウト臭く見えてしまう。作るばっかじゃなくて、展示にも同じだけの熱意を持って欲しいなあ。

次に大崎のぶゆきさんの映像の展示。最近フォトスタンドってのが流行ってるよね。写真入れ替えなくても写真が勝手に変わるやつ。でも停電になったら消える。映像作品が最近多いけど、動くアートみたいなジャンルはそういう、フォトスタンドが流行ってます的な感じがする。つまり家電みたいに流行り廃りのある媒体をアートとして利用しているみたいな感じ。映像作家はアーティストとして、作品の普遍性みたいなものをどう考えているのかちょっと聞いてみたい感じがする。それか、映像作家はもとよりそういう事に興味が無いのだろうか。この人の作品は山から人がボロボロ落ちてきてて、特に意味もなく見入っちゃう感じはあった。あ、落ちた、みたいな。

そして今回ご招待頂いた佐久間要さんの作品。古今東西の名作をビーズで再表現したワークは、スーラのそれと同じでとても不思議なビジュアル、でも離れて観れば確かに一つの作品として浮き上がる。今回の展示の中で「デザイン」としての存在が突出しているからか、ちょっと野暮ったくも見える他の作品群と比較して、とても綺麗に洗練されたイメージでした。

田島秀彦さんの壁面作品はダイオードかなんか?とりま発光体を使ってるんだけど、前回「電子書籍」の日記で書いたように、私はそれ自体で完結しない作品、主になんらかの電力とか蓄電池的なものを必要とする媒体を利用しているものって、それだけでちょっと存在を疑ってしまう。綺麗な色遣いでおしゃれな作品だったけど、キラキラしてるってだけで素通りしてしまった。まあこれは好みの問題だが。

判治さん、坂本さんの作品はパス。

川見俊さんの作品は、作品云々というよりへー!ってなって、面白かった。作家さん自らグラスを配っていて、新聞紙にくるまれ、マジックでナンバリングされたグラスを手渡された。わお!このナンバー…使ったら消えちゃうが。使わなきゃいいのかな?分かりやすいってことが、表現にとって結構重要だと思った。※ナンバーじゃなくてサインとのこと

設楽陸さん、アニメ世代?現代っ子だよね。ノートが単純にすごいと思った。攻殻機動隊的な、自分の内にしか存在しない外的世界ってのを一生懸命解説してる感じが、すごいけどすごい止まりって感じ。まだこの人には表現法があるんじゃないかと思う。

佐藤さん、文谷さんの作品はパス。

以上、そんな感じ。パスした人は特別これといったものを感じなかった。

県美だったらもうちょっと良かったのかしら。今後も活躍していく人たちだと思うから、もっと私風情がごちゃごちゃ言う隙を与えない、すごいものをこれから見せて欲しいなあ。期待。