友人に手紙を書いた


手書きで手紙を書くのは何年振りだろう。レターセットを選び、そのセンスを変に思われないか案じ、悩んだ挙句に漸く買う。少ない枚数の便箋に、歪まないよう、間違えないよう、慎重にペンを走らせる。書こうと思っていた文章と、現実に文字になる文章は、少しずつ離れていく。でもパソコンのように、簡単に切ったり、貼ったり、やっぱり元に戻す、なんてこともできない。緊張の続く作業。送ってしまえば、もう読み返すこともできない。封を閉じ、やっぱり書き直したいとか、もう一度読みたいとか、様々に葛藤する。でも、送るのをやめようとは思わない。


私の人生のメインテーマは、「私が思う程には、人は私の事を思っていない」という渇望と諦めと、そして僻み。私は折に触れ、会うことの途絶えた友人を回顧する。だけど、私が会わなくなってからも愛し、親しみ、いつの日かの再会を信じる、未だ現在進行形である且つての友たちは、私の事を最早友とは思っていまいという確信がある。むしろそういう人たちだからこそ、私は、私自身を彼女らに認めて欲しいのかもしれない。


この手紙が彼女の手元に届いても、交友が再び始まることはないだろう。透明な水に一滴の薔薇水を落としたように、一瞬の戸惑いのようにお互いの世界が交わったあとは、再び水は何事もなく透明さを取り戻し、二人の世界は閉ざされるのだろう。それでも良い。私は、私がまだ彼女を覚えていて、長い歳月を経ても、昨日会ったばかりのように身近な友達だと思っている事を、行間に込めて手紙を送る。