備えるということ

年末にあまりお金を使いたくないのだが、我が家のセカンドカーである軽自動車にスノータイヤを履かせてきた。毎年雪に困ることなど年に1回か2回か…という私の住む地域で、たかだかその1、2回に備えるには痛い出費である。私の車のタイヤを替えると軽の倍の値段はするので、とりあえず今年はノーマルのまま過ごす。


私は届いた人にしか出さないので、毎年年賀状を書くのは元旦を過ぎてからになるが、それでも毎年年内に年賀状のデザインはパソコンで作っておく。なら年内に用意すればいいのだが、自分が送った人から賀状が来ずに、1月6日ごろになって「遅れてすいません、今年もよろしく」みたいな取ってつけたように忘れてた的挨拶を見るのが少々辛い、ガラスの心の持ち主の私である。それならば貰った枚数と同じ数だけ年賀状を買えばいいのだが、まだ来るかもしれないといつも余分に買って、結局毎年その余分な分は無駄になる。くじの番号を調べるのが面倒だから見もしないし、郵便局に持っていったところで普通の官製はがきに変えてくれるだけで使い道が無い。しかし今でも官製はがきという名前なんだろうか?民製はがきだったりして。


洗剤もシャンプーもティッシュもインクカートリッジもトウシューズも切らしたことが無い。そろそろ買わなきゃなんて焦ったことなど殆ど無い。私はいつも余分に備えすぎなのだ。次のものを早く出したいがために、終了間際になるとわざわざ余分に使ったりもしてしまう。備えたほうが損なのだ、でもこの性格は変わらない。