贋作師

芸術選奨「返上したい」和田氏、盗作事実上認める

6月5日6時14分


 芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した洋画家・和田義彦氏(66)の複数の作品が、イタリア人画家、アルベルト・スギ氏(77)の作品と酷似していると指摘され、文化庁が調査している問題で、和田氏は読売新聞に対し、「(スギ氏の作品の構図を)本人の了解を十分に得ないまま借用していた。社会通念上、盗作と言われても仕方ない」と事実上、盗作を認め、同賞については「返上したい」と語った。

 読売新聞は4日までに、電話や面会で、和田氏から今回の疑惑について話を聞いた。その中で、自らの創作方法について、「構図を借り、私なりのものを加えているのが自分の手法。海外で勉強した画家でないと、このような微妙なニュアンスは分からない」と主張したものの、構図を借りることについてスギ氏の了解が十分ではなかったことを認め、「社会通念上、盗作と言われても仕方ない」などと述べた。

まだ和田氏ご本人は四の五の言っているようだが、この人のやったことは確かに盗作ではなく贋作だ。和田氏の所属している会と私の父親が縁あって昔からの知人らしいし、私は和田氏と同じ高校出身だし、セクハラ疑惑で辞めたという和田氏が教授をしていた名古屋芸大に何人も知人が入ったし、まあだからといってこの人と私にそれ以上の縁があるかというと何もないのだけど、ジミー大西が盗作されたとかいうニュースよりずっと身近に感じる、実に恥ずかしいニュースだった。作家というのは例え大志があれなかれ、例えそれが意識することのない深層心理の記憶から生み出された他人の模倣ということがほとんどすべてであったとしても、クズであろうと落書きであろうとオリジナル作品と信じ発表することに恍惚感を得るものであるが、自分がクズでしか有り得ないと悟ったときに、知性も品格も持ち合わせない者は作家として最も罪深い行為を犯す。それが盗作だ。


芸大出の99%以上は他の人よりちょっと絵の上手い凡人であり、本物の作家と隔てるものは今回和田が「ちょっと借りた」程度に言っている「発想」そのもので、その差は紙一重のようであるが、その紙は決して両者を融合させることはない厳然たる差だ。和田という凡人は見た感じ絵は上手いし、もはや笑い話にしかならないが模写の勉強をしていたということでテクニックは積んできたのだろう。盗作された側のイタリア人作家がどれほどの巨匠なのか知らないが、画家として和田氏と大して差はなかったのではなかろうか。しかし和田氏はもはや画家という同じ土俵に立つことすら許されぬほど、画家としての信頼は地に落ちた。それほどのことをやったのだから、こんな末端の私(あらまだ末端にしがみついてるつもり?)にまでこきおろされるほど社会的制裁を受けることなど当然の罰だ。