KKK

小学生のとき私の学年には二人の問題児がいた。特殊学級に分類こそされなかったが、普通学級では到底対処できない二人だった。たしか5年生くらいのときだったか、そんな二人が一つのクラスに集められるという悪夢のクラスに私もいた。二人とも女で、がりがりのKは食事を給食しか食べていないようで栄養失調だった。その給食ですら食べきれずに残していた。お母さんが亡くなって、お父さんと弟で暮らしていると言っていた。骸骨のような顔にうつろな目が宙を泳いでいて、しかし話しかけられれば人見知りをすることも無く誰にでも答えられる範囲の事を答え、絶対に嘘をつくことが無かった。もう一人のKは肥満で糖尿病だった。毎日同じ服を着て身体には垢の黒い線が浮かび、ひどく臭った。口から出る言葉といえば悪態とくだらない嘘ばかりだった。私の家の近所に住んでいて、同じく太った大勢の弟妹や母親を見かけていた。


担任の教師は差別を恐れてか、問題の回答をわざわざこの二人に指名することがあった。ガリガリのKは指されるが早いか「わかりません」と答える。そんな彼女に担任は、わかりませんと答えるときは椅子から立ち上がって答える、という事を学習目標とした。肥満のKは指名されると頑なに押し黙り、何を言っても顔すら上げなかった。こちらのKには「わかりません」と言うことを目標とさせた。
ガリガリのKがその目標を達成した後、教師によるいじめだろうと今は思うが、「わかりませんだけじゃなく少しは答えを出す努力をしろ」と言い、そのまま何分も立たせたまま、何が分からないのか言えだの、早く答えろだの言っていた。その質問は彼女には答えることができず、分かりませんを繰り返した。肥満のKは分かりませんと言えば困難から逃れられると分かった後も、それを学習せず3度に1度は黙り込んだ。


二人へのいじめは壮絶だった。ガリガリのKは全てのものが悪い夢で、かき消せばいなくなるとばかりに頭を骨と皮しかない両腕で覆い、時に振り回して、泣きながら分からない、知らない、イヤだ、と理解できない現実に絶望していた。しかし名実共に折れそうな風情と決して嘘をつけないこと、勉強以外の話ならクラスメイトと交わす事ができたことなどで、いずれ彼女を面と向かっていじめる人はいなくなっていった。肥満のKはその逆で、いじめられるとウルセエとかバカヤローと相手をののしり返し、つばを吐きかけ、あらゆる意地の悪い質問に嘘で答えた。太りすぎで身体を動かせないので、椅子に座ったまま近寄る相手を蹴飛ばそうと膝下だけ振り回していた。私の知る範囲で、中学まで一緒の学校だった彼女のいじめが途絶えたことは無かった。


ガリガリのKのことは何とも思っていなかったが、肥満のKのことは他の大多数の生徒と同じく、すごく嫌いだった。肥満のKがいじめられているのを見ると、胸がすっとしてもっとやれと思った。私自身がいじめたことは無かったのだろうか?都合の良いように忘れ去っただけなのか、記憶に残るほど大したこととも思っていなかったのか、その両方なのかもしれないがどうしても思い出せない。中学卒業後、ガリガリのKはホステスをやっていると噂で聞いた。一度だけ私が高校生くらいのとき、乗ろうとしたバスから入れ違いに降りてきた、どうみても栄養失調の骨だけの足に黒いストッキングをはき、同じく黒いミニスカートのスーツを着た痛々しい姿の彼女の後姿を見たことがある。服が異様に大きかった。彼女にぴったりの服なんて小学生のものでもない限り無いだろう。肥満のKのことは噂にも聞かないし話題にすらならなかった。


なぜ突然こんな話を思い出したのかも分からない。ただこうして書いておかないとすぐにでもまた、忘れてしまいそうだった。私もまた名前がKで、出席簿順に並ぶと私の後ろに肥満のK、そしてガリガリのKと続いた。後ろから漂ってくる臭いは忘れられないほど強烈で、本当にイヤだったのは覚えている。彼女たちも私と同じ30代に入った。小学生の時点で人並みな生活とは到底かけ離れていた彼女たちには、その後も平穏などきっと訪れなかっただろう。しかし彼女たちと私を隔てるものは一体なんだったというのだろうか。