自分の子供がわがままを言って泣き叫ぶのを見て憎たらしいと思うのは普通なのだろうか。多分それは普通のことのような気がする。
自分の子供が何かを気に病み、私からの抱擁と言葉を待ちわび泣くのを見て、イライラするのは普通なのだろうか。これは普通じゃない気がする。
私は多分、他人と比べてすごくよく泣くと思う。他人はおろか、自分すら想像もしないところで気づくと泣いている。説明しようがない感情になったときはとりあえず泣く。ただほとんど悲しい気持ちになっている、最初は何か違う感覚だったとしても。
大人になってからの情緒的な問題を「わたちは子供のころに、親からあれこれされなかったことにより現在どれそれになり、いま精神的に云々な問題を・・・」とか、さも特殊なことのように書いてるのを見ると気分が悪くなるのだが、それはそんなことは誰にでも起こっていることであり、ことさらに問題視すべきことだと思えないからなのだけど、私がよく泣く原因ってのは子供のころ、親に感情の吐露を抑圧されたことが原因なのだと思う…とか敢えて書いてみる。
私は父親に育てられ、父は私が泣くことに対して、原因は何であれ、相当ヒステリックに怒った。それでも泣き止まなければ殴られ、引きずり倒されもした。私が喘息の発作で文字通りもがき苦しんでいたら、うるさいとすら言われた。まあ大勢においていい父親だったんだろうが、こういう憎むべき事象ってのは墓に入るまで忘れないものなのだ。要するに自分のコントロールが及ばない騒音に対して、すごく嫌悪を抱いている親だった。自然、泣くことは罪悪で、一人人目のないところでする行為となっていった。私が父の「監視下」からようやく逃れたのは独立した25歳くらいのときだが、そこから徐々に、私は人目を憚らず泣くようになったように思う。意外なことに、私の涙に対して誰もそれを止めようとしない。というよりむしろ無関心で、笑い声や話し声がどっかから聞こえるとか、そういったものの延長にただ、泣いている私がいるだけだった。あれ?くらいには思ってるのかもしれないが、その理由など知ったことではないのだ。初めて知ったその感覚は新鮮で、爽快な、寂しさがあった。私はもう泣くことに対して、誰からの指図も受けない。受ける必要などないのだから。
私の子供は泣き続ける。私を求めて抱きついてくるならば、それを受け入れてあげるのに、3才の娘には怒っている私に触れれば、さらに拒絶されるという恐怖しかない。行き場を失った愛情だけを抱えてどうしようもなく、感情の処理のためにただ泣き、それすら怒られ奪われようとしている娘は、声を消そうとぬいぐるみに顔を埋めて泣く。そこで初めて私は我に返り「おいで」と声をかける。のどから手が出るほどその一言を待ちわびて、大声で泣きながらしがみついてくる。ああ、私はこんな子を知っている。このままではどうなってしまうかも知っている。強く抱き返しながら、どうしたらいいのか分からず、私も泣き続ける。