長崎二人旅〜その3

Odiel2007-10-20



4日目・最終日
大方長崎市内の主要な観光スポットは見て回ったので、坂本竜馬が日本で初めて創設した株式会社・亀山社中跡地を目指す。どの日も歩くのは大変だったが、最終日ということで気が重いこともさることながら、実際一番急な坂が多い道程で、気分的には一番大変だったように思う。でもここでも普通にいわゆるお年寄りが階段を上り下りし、普通に生活している。そして急な斜面に張り付くように保育園があり、階段を下った神社の境内でこじんまりと遊んでいる。長崎の親は子供の送迎も大変だ。亀山社中はこちら、というあちこちに手書きされた小さな看板を途中見失って違う方向に進んでいくが、特に急ぎの予定があるわけでもないので、そのまま迷いに任せて進むと、坂本竜馬像のある公園に到着。人もおらず、展望台と称しているものの木が鬱蒼と茂り全然展望できない。再び亀山社中行きの手書き看板を発見したので進んでいくと、そこはもう閉鎖されて、跡地という碑が残されているだけだった。入れなかったものの、長崎の典型的っぽい住宅地の中にポツンとあった亀山社中への道のりは、私が頭に描いていた長崎のイメージを十分に味わえるものだったので、とても満足できた。そして階段を下るのは早い。ぐんぐん下って、そのまま帰路に着いた。


毎日へとへとになるまで歩き回り、暑くて子連れで思い通りに動き回ることもできず、イライラしたり嫌な事もたくさんあったのですが、不思議なことに今となれば、そのこと自体大して覚えておらず、むしろそれすら良い思い出になっているのです。長崎を振り返り文章を書いていると、そのときの事が鮮やかに思い出されました。同時に最終日のことを書く事は、そのときの寂しさを鮮やかに思い返すことにもなりました。この空気を、この暑さを、この空の青さを決して忘れまいと何度も空を仰いだこと、帰りたくないとゴネて娘(3)に諭されたこと、刻一刻と迫る飛行機の時間が呪わしく、排水溝に吸い込まれる汚水のように現実に引き戻される感覚を味わったこと、等等。どうしてこんなに長崎に惹かれるのかは分かりません。ひょっとして、無駄に地球の酸素を消費してしまっていることすら罪悪な存在の私の前世は、皮膚と筋肉の間に潜伏する謎の寄生虫でもなく、深海600メートルで一生日の目を見ることなく、人類にも未だ発見されず、死して海底の泥に堆積してる深海魚でもなく、そう天草四郎時貞?ああ、そんな過去を背負っていると思うと、生まれ変わったこの生涯をもう少し、意味のあるものにしなくちゃね!つーかキリスト者であった天草四郎はきっと今は神に召されて、御仏の意志で輪廻転生することもないか。しかも私に生まれ変わるなんて天罰が下るわけもないわね、フ・・・。
さて今回は長崎市だけの滞在でした。今でもよく長崎に、帰りたい、とふと思います。いつかまたあの地へ行くことになるでしょう。それまではこの愛知で、天草四郎の生まれ変わりに恥じぬ生き方に励みます(まだ言ってる…)。