恐るべし民俗


ハレとケの概念。すなわち「晴」と「穢」であり、晴れの日は無礼講で騒ぎまくって、穢れの日は身を慎みながら次の晴れを待ち土の下のセミの幼虫のように過ごす。日常の津々浦々に合理的理由から自然発生し儀式化したイベントの数々こそが民俗学の根幹を成すものの一つであり、その膨大な問題提起の多さに何から手をつけていいのか分からなくなる。ピアノ曲が大好きだけどどれから聴けばいいのか分からないのと一緒。たまにリストやショパンに手をつけるように、河童や祭りについて軽く触ってみるが、知ったところで疑問が増すだけなのが民俗学の恐ろしいところ。子を間引く習慣だとか、山に囲まれた寒村で血が濃くなることを回避するために、祭りの日に大乱交が公然と行われてるとか、か〜ごめか〜ご〜め〜の歌詞の意味だとか、そんじょそこらの怪奇小説なんかよりよほど背筋が凍るような、人間の本能的な習慣にウンザリしつつも惹かれてしまうのです。私が日本人として生きてると全くそれを民俗学的に根拠あるものとは考えもせず、単に風習と片付けその潜在的概念が全ての行動を支配的に私の実践と結びついていると思うと怖いよー。最近寝不足のせいか変なことばっかり考えてしまうんです。そのうちねずみ人間がやってきて私にあれこれ命令するかもしれない。