木曽駒ケ岳 一回目 2/3


木曽駒に登ると決めてから、木曽駒について色々と調べていたとき、山岳小説の雄、新田次郎著「聖職の碑」について知った。それは大正時代に木曽駒で起きた実際の遭難死亡事故を題材とした小説で、私の登った8月下旬と同じ時期に木曽駒へ修学登山した引率教師と生徒計13名(くらいだったか・・・)が遭難のうえ凍死するという、山素人の私にはショッキングな内容で、8月に凍死するという状況がはてさっぱり理解できなかった。しかし読むうちに状況を理解し山の厳しさへの教訓をちょっぴり得て、山に対する心積もりが数段シビアなものに変わり、実際今も木曽駒山中に立つというその遭難を記念する碑、すなわち聖職の碑を見ることこそが登山の目的に、なんというかなってしまった。読んで良かったのだけど、結果悪かったとも言えるというか。

木曽駒山頂は恐ろしい強風と濃霧(というか雲の真っ只中です)で、すぐ近くにあるはずの山小屋の存在も気づかなかった。一旦そこで休んで地図を広げてみるべきだったが、「→聖職の碑」なんて書いた看板が立っているので、すぐ近くにあるものと勝手に判断し、強風の中地図を広げることも不可能だったため、元来た道を戻ることなく更に進んで行った。目的は登頂ではなく碑だったために、どうしても諦めが付かなかったのだ。事前に碑の場所を確認すれば良かったが、本を読んだイメージで山頂から程近い場所だと勝手に思い込んでいた。帰ってから地図をよく見たところ、山頂からはかなり反対側へ下った8合目くらい?にその碑はあるようだった。晴れていても初心者では躊躇する、雨で滑りやすくなった岩場をぐんぐん降り、この距離を戻ることはもう不可能だな…と頭の片隅に思うが、碑を見るまではそのことは考えまいとする。時に息すら止まるような暴風が横殴りに吹きつけ、風がやんだ瞬間に歩きだし、もう抜き差しならないところまで到達したときに見たものは、2本に枝分かれした道。一本は碑に続く道、もう一本は山頂へ戻る道。すでに8合目くらいまで下り、周りは樹林帯に変わっていた。暴風と濃霧に替わって雨が身体を濡らす。

この機を逃しては何か良くないことが起こりそうだと、既にここまでで相当良くないことが起こっていたわけだが、改めて気づいた。私は登山用の雨具を持ってきたのだが、普通のカッパ(一応セパレート)で無謀にも臨んだ同行の友人は水がしみ込み、下着まで濡れていた。岩陰で雨をしのぎながら地図をようやく広げる。防水ではない地図は、おそらく今見ておかなければ次に開くとき、紙が溶け出し役には立たないだろう。そこに見たものは、碑まで40分の文字。この地点まで往復するだけで80分。そしてさらに、下山するためにはもう一度山頂まで上り、尾根道を伝って下山しなければならないのだ。既に相当下ってきている。そしてずぶ濡れで顔色が悪くなってきている友人。山頂の気温は7度…もう迷ってはいられない。十分すぎるほど遅すぎたが、ここで戻ることを決断する。(続く)


その後(2009.6.6)

登山をたくさんするようになってきたので、「登山」カテゴリを増やしていたら「木曽駒ケ岳 一回目 3/3」が消えちゃいました。とほほ。木曽駒はまたチャレンジするので、また書くか・・・。