思い出の地

愛知県の春日井市に住んでかれこれ4年ほど経ちます。その間に3回引越ししました。
今年7月に引越したばかりの新居から歩いて10秒のところに、堤防があります。私が生まれ育った名古屋の貧乏長屋の近くにも、全く同じ風情の川があり、その川を中心としたドラマが各年齢でありました。年長さんの時に同じクラスだった子が、その川でザリガニ取りをしているときに溺れて亡くなり、お別れ会の意味も分からず遠足気分で、みんなで現場に出向いたこと、担任の先生のお話は覚えてないけど、嗚咽を上げ涙を流して喋る先生の風情に、初めて大人が泣くのを見た戸惑いに、自分も思わず泣いてしまったことなんかは細部まで鮮明に覚えています。その後も懲りず、どこが安全な浅瀬なのか子供たちはすぐに開拓します。ザリガニを取り、飛び石を競い、春はつくしを取り、夏は水遊びをしました。
どうということのない汚い川で、その川のことを愛していたわけでも、未だに愛しているわけでもなんでもないんですが、ただそういう思い出の地があるというのは、人間性の土壌を形成する一因であることは確かだと思います。
時は流れ、同じような川のほとりに住むことになりましたが、情緒的な風景で良いところに住めたと思います。ただ堤防にあるのは年寄りのウォーキングばかりで、川の中どころか堤防にすら子供の姿は見えません。格別私の心を捉えてやまない、この工場に侵入する糞餓鬼とかいるんでしょうか。敷地の隅に秘密基地をこしらえたりするんでしょうか。その夢は自分の子供に託すしかなさそうです。心惹かれる光景ですが、ここは思い出の地では無いんですから。