例えばの話

ABTのダンサーがふらりと地方の弱小バレエ教室にやってきて、ABTどころか地元バレエ団の公演すら見たことない子供たちに、バレエを指導するとか。

アメリカで研鑽を積んだ心臓外科医が、田舎の療養所で勤務する田舎医師に手術を指導して薄幸の少女を助けるとか。

天才ヴァイオリン奏者が全校生徒7人の小学校に現れ、合唱コンクールの指導をするとか。

こんなありふれたエピソードの数々。素朴な人々と関わることで、一流の天才が更に人間味をも手にする涙と感動のお話。

例えばの話、天才プリマがABTに戻り、数日間ハートウォーミングな交流をしたバレエ教室の子供たちをリハーサルに招くとする。そこで子供たちが見るものは、超絶技巧など持っていて当たり前、要求されるのはその技巧を駆使した上での芸術という世界。優しい笑顔で私たちに接していたプリマは今や苦悶の表情で、バレエマスターに怒鳴りつけられ、時にはプリマ自身も声を荒げ、全身から滝の汗を流し、指先までも極限の繊細さを込め芸術を表現している姿を目の当たりにする。

例えばの話、そこで子供たちは、あのプリマが住む世界はあくまでここであり、私たちの小さなバレエ教室ではないこと、ここに来てよかったと涙したあのプリマの優しさは、プリマ自身すら気づかないほど綿密に、私たちの犠牲の上に成立する恐るべき自己満足であること、あの心温まる交流が数日間ではなく、数週間だったとしたら、プリマは超一流がしのぎを削りあう、ガラスのような緊張感が恋しくてたまらなくて、私たちのことを見るのもいやだと思うようになっただろう・・・と知るのだ。私はこれらのエピソードに、素朴な人間たちが芸術家に傷つけられる、この心の傷を見る。

将軍様が身分をかくし、お忍びで城下の町娘に手を付けるのと一緒で、結局将軍様は自分の身分をわきまえており、真に愛するのは身分に釣り合う姫で、罪作りなことに、ほんのいたずら心で訪れた娘はそのひたむきさゆえに、一生残る、果たして傷なのか思い出なのか、とにかく影響を与えられ続けていくのだ。

例えばの話、こういうよくある美談に、大いなる欺瞞を感じて辟易する私は、殿様にお言葉もかけてもらえず逆恨みするタイプだわ。