旅の空


九月七日、午後九時半過ぎ。
真っ暗な家にするのは不吉だから電気をつけて帰ろうか、と言ったらスモールランプだけ、と応えた。暗い部屋で横たわる父に向かい、じゃあね、また来るから、と言ったら小さく頷いた。それが私の見た、生きた父の最期の姿だった。

翌日は朝から雨が降っていた。夫はゴルフ。車がない。私は娘と二人で、栄にグレード試験へ行くことになっていた。午前のグレードが終わったら、おじいちゃんの様子を見に行こうね、と娘と話した。

やがて雨は小降りになった。父の家に行けば、父の車がある。車を借りれば、試験が終わったあとですぐに父の家に来られる。時折不安定に雨脚が強くなり、やめようかと何度か思ったが、昨夜の父の様子のこともある。午前中のうちに一度、父に会っておきたかった。私と娘は、自転車で出発した。

出かける前、空気が抜けてずいぶん重くなっていた自転車のタイヤに、二人で空気を入れた。それに結構手間取り、家を出たのは午前九時半ごろだった。父の姿を見てから、十二時間が経っていた。

堤防の道を走り、時々猫を見かけては足を緩めた。触れそうな野良猫はいなかった。堤防ではよく娘と猫を探して遊んでいたが、雨のこともあり、今日はいいかととにかく先を急いだ。三キロほど離れた実家に着いたのは十五分後くらい。団地の自転車置き場がいっぱいで、ずいぶん奥の方まで空きスペースを探しに行った。

昨夜の様子はかなり酷かったので、胸騒ぎはしていた。ドアを開ければ、病に苦しむ父がいるはずだ。今日は食事ができるだろうか。水くらいは含めるだろうか。


ドアを開け、すぐ目に飛び込んだのは空のベッド。次の瞬間、下に落ちている父の姿。私たちの方に背を向け、やや横向き加減のうつ伏せ。見た瞬間に解ったけれど、呼びかけ、駆け寄り、背に触れた。硬く冷たくなっていた。

推定時刻は九月八日、午前三時。
父は一人で旅立った。

遺影写真の背景を姉と選び、夕暮れ空に雲のたなびく画像を選んだ。無地を主張する姉も、そういえばお父さんのメールアドレスにも「旅の空」という文字が入っているね、と納得した。空を背にした父の遺影に、皆が父らしいと言った。私もそう思う。

慌ただしく別れの儀式が終わり、すべて終わった昨夜、自転車を取りに行くために再び娘と二人で父の家に向かった。誰もいない家の中に、ぽっかり空のベッド。傍のテーブルには、父が愛用したカメラがあった。電源を入れると、父が最期に撮った写真が映った。
青空に流れる白い雲。
他には、草花の写真が十枚ほど。草木を眺め、顔をあげ、目に映った青空を最後に留めていたのだろう。日付は六月二十二日。まだかろうじてやりたいことをやれていた、最後の頃。

父は旅の空へと行ってしまった。誰にも告げず、いつものように、たった一人の旅路に。