忘れる前に


記憶がすぐ曖昧になってしまう。どうでもいいことこそ、意外とあとから大切になったりもする。とりあえず今のところは、何が大切で、何がどうでもいい記憶なのかも分からない。だから雑多に留めておくしかない。

父が亡くなる前日の夜。ベッドに横たわり、シャツを胸まで捲り上げ、あばらの浮き出たお腹を出している。暑いなら戸を開けようか、と問うと、暑い? 暑い? と何度も私に聞いた。それは前日も同じだった。父が暑かったのかどうかは知らないが、ベランダと窓を開けた。

車椅子があれば車まで行ける、車に乗れば買い物にも行ける、と父はおもむろに話し出した。勿論言葉は聞き取りにくく、途切れ途切れではあるが。仮に車を運転できたとしても買い物など絶対に不可能だろうから、必要なものがあれば買ってきてあげると言ったが、車にさえ乗れればと繰り返すので、私は話を合わせて、車椅子の手配の仕方を調べてみると言った。すると既に、父は頼んでいたらしい。市の職員が、三日後に来ることになっているといった。

次に食事の準備を始めた。殆ど何も口にしていないようだった。生ごみ入れには、種なし巨峰の皮が一個分。前日に炊飯器で作ったおかゆが、台所に置いてあった。どんぶりに移し、ラップが掛けてある。聞くと、美味しいおかゆだったから冷蔵庫に入れて取っておいてほしいと言う。でも多分、どんぶりに一杯のおかゆなど、今の父では食べきるのに数週間もかかる量だろう。しかも、冷蔵庫にも入れず放置してあったもの。おかしなものを食べては身体に障るからと言って、そのおかゆは捨てて新たに鍋で作り始めた。

鍋にお水、米はスプーンにほんの一杯程度。ご飯からより、米から作るおかゆの方が美味しい。全く食欲のない父でも美味しければ食べられるだろうかと願いを込める。その間に、まるで小鳥の餌のように小さく小さく刻んだキウイを渡した。食べることなど無理そうな雰囲気だったが、キウイを見ると手を伸ばした。本当は前日、巨峰と一緒に頼まれ持って来たものだったが、結局手をつけることができなかったらしい。

小さな欠片をいくつか食べた直後、父は激しく咳き込んでいた。どうすることもできないので、私はおかゆの様子を見たり、父の横に座ったりしながらうろうろしていた。一段落すると、父は今食べたばかりのキウイを戻してしまったという。いつもティッシュに痰を吐いて捨てていたので、それと同じだと思っていたらそうではなかった。何か嫌な気持ちになった。父は確実に悪くなっていることを感じた。皿に残ったキウイはラップに包んで冷蔵庫に入れてくれという。僅かな量だが、一応そのとおりにした。

次に飲み物を出そうとした。恐らく何も飲んでいないだろうと思ったから。何か飲むかと聞くと、おかゆの置いてあったどんぶりの横に湯呑がある、そこにお茶が入っているから持ってきてほしいという。湯呑を見に行くと、ぷかぷかカスのようなものが浮いている。慌てて冷蔵庫に入っているお茶を見たら、二週間以上は前に作った麦茶が入っていて、ペットボトルの中にぷかぷかカスが浮いていた。父の不調はこのせいだ、と咄嗟に思った。どうしてこんなものを放置してしまったのか、私としたことが迂闊だった。父は昔からそういうことに疎く、例え腐ったものでも気付かず口に入れる人だ。元気なら吐き出せばいいが、今は何もできない。きちんとお茶を買ってきておけばよかった。激しく後悔しながら水を入れた。冷たいままが良いか、ぬるくしたものが良いか尋ねると、冷たいのが良いという。ふらふらと起き上がり、ベッドに腰掛けた父は骸骨の様だった。でもそれはここ最近同じだったので、その日が特に酷いとも思わなかった。

結局僅かに水へ口をつけたが、苦しげな表情でコップを私に返し、また横になった。それからしばらく咳き込んでいたが、もしかしたら水も戻していたのかもしれない。背中を擦ってあげようかと思った。でもそれができなかった。恥ずかしいからだろうか。今更なぜそんなことをするのかと、父に思われるのが嫌だったからだろうか。とにかく父には触れなかった。酷く苦しんでいた。

しばらくして、父は私の手を握った。父は昔からよく意味もなく、私の手を握る。私が握り返すことはない。でもその日は握り返した。多分子供の頃以来初めて。父の手は細く、冷たくもないが、体温は低かった。ベッドにいながら食事ができるように台を買ってこようか、と言うと、事態は刻々と変わる(から要らない)、と言った。確かにまた入院するかもしれないと私も思った。

なべ底にへばりつくように、茶碗に一杯もないほどのおかゆができあがると、私のできることは何もなくなった。鍋にふたをして、帰ろうとした。このまま帰っていいものなのか悩んだ。でもそれは僅かな時間だった。何かあったらすぐに私か救急車を、と言った。そして私は、父と別れた。翌朝見ると、おかゆは私が帰ったときと同じにふたがされていた。