美ヶ原(十三座目/百)


父は車の運転が好きだった。運転だけではなく、車そのものを大切にしていた。煙草をやめる前のヘビースモーカー時代にも、父は車で煙草を吸うことはなかった。勿論、車中で飲食などとんでもない。車の中はいつも清潔で、ドアの内側に靴底が擦ったりしようもんならネチネチといつまでも文句を言われ、ドア開閉の音にまで注文を付けられた。ぶっちゃけ、まだ実家にいた頃の私にとって、父と車に乗るのは楽しいもんではなかった。その父と車に乗らなくなって久しい。もう永遠に、同乗することはないのだが。

父が亡くなり、車だけが残った。我が家の車と同じ10年戦士だとはとても思えない。高齢でそれほどハードな乗り方をしてこなかったにしても、とても状態の良い車だった。父の残した遺言には廃車を指定してあったものの、すぐに手放すのはあまりに忍びなく、保険を更新した。オーディオの中には「私のお気に入りCD」とのディスクが残っており、聴いてみると、笑ってしまうほど私が子供の頃にカセットテープで聴かされていた曲と同じ。曲を聴きながら、私は出かけることにした。思い出の地へ。

子供の頃、父は色々な場所に私を連れて行ってくれた。残念な事に、その多くの地名は覚えていない。ただそのほとんどが山だった。覚えているものの数少ない名前の中に、「美ヶ原」がある。その名前のインパクトと、そこで見た美しい光景とで、かなり鮮明に覚えている思い出のうちの一つだ。父は柵を乗り越え、崖の下から雲が湧き上がる草原に座り込んだ。柵を越えていいのか不安がる私に、昔はこんな柵なんかなかったから平気だ、と今考えるとわけの分からん理屈を言った。覚えているのはその部分だけ。多分私が小学三年生くらいの頃だったと思う。

今年小学三年生の娘を助手席に乗せ、早朝出発した。BGMは勿論、サンタナとかジプシーキングスとかピアノジャズとか、例の『私のお気に入りCD』、MPじゃないからすぐに一周終わっちゃうんだよね。ヘビーローテしながら一路、美ヶ原へ向う。父が亡くなって以来、突っ走ってきた。感傷に浸る余裕もなかった。そして、これからも多分、しばらくはない。運転しながら、父の視点を探した。勿論そんなものを、見付けられるはずもないのだけれど。



ビーナスラインを経て、10:00山本小屋から出発。お土産屋さんの内部にすごく見覚えはあるが、随分小さく感じる。天気は、記憶にあるイメージに近い。



かわい〜と言いながらも触れないビビり。私がガシガシ撫でるのを見てようやく触っていた。情けない奴め。



美しの塔。鐘が鳴らせないようになっていた……



美しい。変わっていない。これからも変わりませんように。



到着〜



記憶の中にある「崖から雲がもくもく湧き出るところ」はこんな感じのところだった。



私は非常に世の中のルールを順守する人間なので、柵に入ることなく、崖を見渡せるテーブルにて昼食。



腹を満たし、バッジを買い、11:35最高点の王ケ頭。大人になってからも美ヶ原には何度も来ているけど、ここに来たのは初めての気がする。



帰りは雲が多くなってきた。午前中は登山の装備をした人が多いが、正午を過ぎると軽装の観光客が増える。ちょうどその境目あたりで散策を終えることができたので、三連休中とはいえ、人の少ない心地よいハイキングができた。娘はこの日のことを覚えているだろうか。いつか私のいなくなった世界で、美ヶ原の名を、私と、祖父との面影を思い出してくれるだろうか。


ほんの僅かのあいだでも、父を偲ぶことができたと思う。帰り道、30キロの渋滞にハマったのも、現実世界に戻る良い関門だったと思う……。