教室を辞めます


今のバレエスタジオに変わって、多分12年ほど……。辞めることになった。


もう三十代も後半なので、それでなくとも何度も辞める危機は訪れていた。いつも潮時を探しては、運動不足を恐れて再び教室に足を運んでしまう日々。いつかは辞める日が来るけど、それに代わる運動は続けていきたい、ではいざフィットネスだウォーキングだ……とは頭も身体もスイッチできない。20年以上も運動といえばバレエになってしまっていたから。

ここ二年間ほどは、一ヶ月単位で休むことが多くなっていた。愛猫が死んだときは半年休んだ。原稿の締切が近付くと、娘が夏休みに入ると、足の裏を故障すると、その都度1ヶ月以上休み、また復活する。いつ辞めてもおかしくない土壌は、じっくりと出来上がって行ってたのだと思う、自分にも、そして先生にも。

足裏を傷めて休み、復帰した9月から先生の様子が変わっていた。私のことを露骨に避けていて、口も利かない。心当たりはないけど、寄ると触ると先生の不満ばかりを口にしていた私のこと、どこからかそんな話が耳に入っても不思議はないと思い、あまりかかわらないようにしてきた。ところがついに昨日、先生が重い口を開いた。開口一番、「私はあなたが戻って来るとは思ってなかった。そんなに不満があるならよそにいけばいいのに」……どうも話を聞くに、私は先生の腹に据えかねる失言を半年近く前にしてしまったらしく、いくら親しくとも言っていいことと悪いことがある、これまでの口の悪さ、態度の悪さ、人に対する親切心や愛想のなさに加え、もうこの一件で完全に人間性が合わないと悟った、だからこの先あなたを教えることは心情的にできない、と。


まあ散々な言われようだし、私にも言いたいことはたくさんあった。でもレッスン前で、みんなが不安げな表情で私を見ている。恥ずかしいのもありレッスンを受けず帰ってきた。その夜に電話して、もう話すことはないと言わんばかりの先生の真意を、なんとか質そうと試みた。私の頭の中には、二十年に及ぶ先生……というか、先生の周りにいた人たち、そして友達、今のスタジオの面々、その人たちとの交友が突如途絶えるという寂しさと、バレエ教室を変わらねばならないという面倒と、ほじくりかえしてはなじられる細かな失言への言い訳のことしかない。今は言われたばかりで混乱しているだろうけど、二、三日考えればいい、と先生は言ったけど、私は泣いて謝った。そして粘りに粘り、年内復帰を許された。そして一夜明けた。


先生の言った事は正しい、実に正しい。昨日の私は全く混乱していた。一晩寝ただけで冷静さを取り戻しつつある。私はなんら、あの教室にこだわる必要はないのだ。まず先生の指導に看過できない積年の疑問があったこと。先生が私に対して思っていたように、私も先生の人間性とは全く相容れるものを感じていなかったこと。教室を選んだ理由に自宅から近いという以上の理由はなにもないこと。そして、ここまで悪しざまに人間性を否定してきた先生に教わっても今後何のメリットもないこと。


結局、私が辞めさせられた理由はなんだったんだろう。最後まで、はっきりしたことは言わなかった。先生の話を集約すると、結局は娘を移籍させたことをよく思っていなかったのが最大の理由だと思う。その根性をたたき直せだ、人間関係をゼロから始めるつもりで謙虚に戻って来いだ、改善が見られなければ次は容赦なく辞めてもらうだ、超上から指令を散々受けて、私も謙虚にうんうん聞いてたけど、最後の最後、電話を切る前に「娘ちゃんを移籍させた本当の理由は何?」と聞いてきた。あまりに唐突な質問だった。でもそこが引っかかっていたのだとすれば、先生の言っている全部がそこにつながることに気付いた。私の失言等々、全てそのときのことを言っている、あとのことはオプションだったんだと。

ちなみに娘を辞めさせた理由に嘘はない。ただ、それ以外に言っていないことも当然ある。それこそ「親しき仲にも礼儀あり」で言わなかっただけ。それを言ったところで誰にとっても良いことはないのだから。


バレエの世界は、本当に小さな世界。そこで働く人も、習ってる人も、小さな世界での小さな出来事が一大事になってしまう。特に移籍のトラブルは多く、世間でも移籍トラブルの話は枚挙にいとまがない。私も大局で言えば、娘を移籍させるときに上手く立ち回れなかったということだ。私自身が泣いてまで戻してくれとお願いしたけど、もうサッパリ戻る気はなくなってしまった。悪いが約束はぶっちぎらせてもらう。こっちは金払って習いに行ってんだ。なにが明るく振舞えだよ。バレエは仲良しごっこか。
このブログを読んでる同じ教室の人(いるの?)、こんなわけで私は教室を辞めます。あれだけ愚痴言ってきたんだから、これだけスパンと辞められて清々した。ただみんなと会えなくなるのだけは寂しいけどね。どこかで会えると良いけど。